土居 由理子 / YURIKO DOI

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アメリカにおける狂言の発展 (2020年版)


「アメリカにおける狂言の発展」(仮称)を書くにあたって、まずその先駆者野村万作のインタビューから始めたが、このウェブサイトは、あくまでも完成したものではなく、その過程のノートの一部であると考えていただきたい。ですから、読者のご意見やさらなるインフォーメーションを歓迎する次第である。

野村万作の弟子で、短期間早稲田大学演劇科で著者のクラスメートでもあったダン・ケニーは、1969年に英語の「狂言案内」(A Guide to Kyogen(檜書店)を発行した。この案内書は、狂言をアメリカに広める最も大きな役割を果たした、と思う。其の後1975年、彼は、ダン・ケニー英語狂言プレイヤーズを結成し、1977,78年アメリカ公演を行った。この時、ダンケニーの英語狂言の舞台を見る機会があったが、正直に言って、これは観客に見せる演劇ではない、と思った。狂言の抑揚をそのまま英語に置き換えてはいるが、セリフの表現が十分英語の中に含まれていず、まるで小学生が読んでいるような英語の朗読であった。矢張り、セリフとなると、抑揚と共に、台詞の意味を十分表現する能力が問われるわけで、この点で、日本人相手ではなく、英語の国アメリカの観客を相手では、演劇として成り立っていなかった。
初期の段階で、故ワシントン大学のマッキノン・リチャード教授、故カンサス大学椿あきら教授などが、授業、著書また講演活動を通して狂言を広めた功績は、大きいが、彼らの功績をたどる前に、ポートランド州立大学日本語、日本文化と演劇科教授ローレンズ コミンズ(Laurenc Kominz)、ハワイ大学演劇・ダンス科教授ジュリー イエッツィー(Julie Iezzi, カリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)演劇科教授キャロル ソーゲンフライ(Carol Sorgenfrei)にインタビューしたものを下記に掲載する。

   1984年にポ-トランド州立大学に就任したコミンズ教授は、以来36年間にわたって、授業の一環に狂言を教えている。4年間京都に滞在中、1977年に茂山千五郎に師事し、1978年京都で狂言「柿山伏」で初舞台を踏んだ。現在は、英語狂言を創作し、学生劇団、ポートランド州狂言団(Portland State Kyogen Company)を作り、全米的に巡演活動も続けている。又しばしば茂山一平師をはじめ日本から狂言師を招いて、狂言の発展に寄与している。狂言「附子」、「棒縛り」、「瓜盗人」は日本語のセリフで、「呼び声」は英語で上演する。又狂言小舞小謡の他に、仕舞・謡(金剛流)も指導する。和泉流狂言は、石田幸雄師より指導を受け、「盆山」でデビューした。また多くのコミンズの生徒の中では、スウェイン ジョーン(John de Swain)のように独立した学者として、狂言の研究を続けている者もいる。今は、茂山狂言と義太夫節を取り合わせたり、学生と新しい方向を探っているコミンズ教授である。

   2000年8月からハワイ大学マノア校演劇科でアジア演劇を教えているイエッツィー教授は、1988年から89年にかけて、同校で野村万作から狂言の指導を受けたが、それ以前から、先代茂山千之丞に師事し、後に茂山あきら、丸石やすしからも指導を受けた。1988年, 野村万作のアレンジで、ハワイ大学学生の狂言「呼び声」を千駄ヶ谷の国立能楽堂で演じた際のメンバーの一員でもあった。東京芸術美術大学楽理科で修士を取得。其の後ハワイ大学アジア演劇で修士と博士号を取得した。今でも時に茂山狂言のメンバーを大学に招待し、指導を受けている。2002年,2007年、2012年、2017年と茂山流の狂言3曲をハワイ大学で公演したが、特に2012年は1週間にわたり丸石やすしによる集中狂言ワークショップを企画した。学生は、狂言を最初は日本語で習い、それから英語で学ぶ。台本は茂山流の翻訳された英語狂言を使う。狂言を教える利点は、台本に社会性があり、観客をつかみやすい点と、他の島々へ巡演旅行をする際に、少人数で移動しやすいこと。また複雑な衣装、かつら、ミュージッシャンなど多くの人数を必要とする歌舞伎劇に比べて、大掛かりな準備を必要としない点など、にある。

   すでにカリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)演劇科教授を引退したキャロル ソーゲンフライ教授は、1980年から2011年まで演劇科で劇作術を教えた。学生の中で、英語の自作狂言を書く人もいたが、狂言を教えたのは,引退後教えた大学院学生取得の日本演劇史のクラスが初めてであった。UCLAは、驚いたことに長い間アジア演劇のクラスはなく、単にアフリカも含めた西洋演劇以外の演劇(Non Western Theater)の一環として、1980年まで教えられていた。1964年にUCLAに就任したメルビン ヘルスタィアン(Melvyn Helstien)教授は、このクラスで主に人形劇とアジア演劇を教え、その後ソーゲンフライ教授を採用した。ソーゲンフライ教授の博士論文は、寺山修司の劇作術であり、日本演劇史は専門ではないが、2002年には、喜多流能楽師松井あきらとリックエマートを招待したり、日本演劇関係にかかわった。拙者の要望でキャロル ソーゲンフライは英語狂言「詐欺師」{Imposter) を1992年に劇団シアター・オブ・ユウゲン(Theatre of Yugen)のために創作した。UCLAは現在、トーマス オコナThomas O’Conner)助教授が、狂言・能を教えている。

   又UCLAダンス科のジュディー ・ミトマ教授は、1981年8月、日本古典芸能フレンドシップ・ミッションという大掛かりな催しを企画し、喜多流能家元喜多長世、和泉流狂言野村万作、鼓堅田喜作、長唄囃子杉浦功、花柳流日本舞踊花柳寿輔、雅楽東儀師を招聘して、夏季講座と講義を催し、その間ワシントン大学リチャード マッキノン教授の狂言の講演の他、ダン ケニーのグループが、英語狂言を披露した。その後もサンフランシスコに拙者が1978年に創立した劇団シアター・オブ・ユウゲンが、1984年2月、UCLAの演劇科とダンス科の学生に1週間にわたる狂言のワークショップを指導し、バスで近辺の各地の学校から参加した小・中学生のための公演と一般の観客のための公演を上演した。

   同じくロスアンジェルスを中心に全米で活躍するアジア パシフィック劇団イーストウェストプレイヤーズ(East West Players)は、映画俳優マコ他8名で1965年に創立され、初期のころは、狂言を上演した。初期のころ劇団のリテラリー マネジャーであったアルベルト アイザック(Alberto Isaac)氏の記憶によると1969年、英語狂言3曲:「二人大名」、「くさびら」、「首引き」を上演した。1972年には、レイ キム(Leigh Kim)、ベティー ムラモト(Betty Muramoto)、アーバイン パイク(Irvine Pak)によって創作された3狂言を公演し、其の後多くの学校にツアーして回った。ただし、現在の劇団は、ミュージカル系の公演をするほうが多く、以来狂言は公演されていないようだ。


  以上