2012年9月には、サンフランシスコのODC劇場で音楽、踊り、映像、アニメーション、語りから成るマルテイ・パフォーマンス・プロダクション、土居草案、ジョーン・オキーフ作「ミステイカル アビス」(神秘の深淵)を演出。2015年9月には、この「ミステイカル アビス」(神秘の深淵)をもって、コロラド州デンバーのクレオ・パーカー・ダンスシアターで公演し、また、コロラド・スプリングのコロラド大学やコロラド州立大学でも公演の一部を上演するとともにレクチャー・デモンストレーションを催した。このコロラドツアー公演を最後に、土居は、劇団の理事として、劇団に関与しながらも、一線から退き、日本にしばらく滞在し、2013年12月8日には、東京渋谷のセルリアンタワー能楽堂で、石田幸雄師の遊兎の会で狂言の大曲「川上」を演じた。その後も基本的な狂言の動き、小舞い、小謡、をシアターオブユウゲンで、指導し、新しい英語狂言を演出。2018年には、新たにカリフォルニア伝統芸術同盟(Alliance California Traditional Arts)から助成金を得て、シアター・オブ・ユウゲンの現芸術監督の指導に当たった。2019年2月に催されたユウゲン会の狂言公演、「節分」の演出を最後に完全に劇団からリタイヤーした。 土居は、また長年のヨットクルーザー乗りで、1973年4月メキシコ・アカプルコからニュージーランドまでの航海記は、舵社の雑誌「The Kaji」に掲載され、大好評の結果、舵社の海洋文庫5「タアロア号南太平洋をゆく」(上下)2巻に発行された。その後、2010年にも、37年ぶりにほぼ同じコースを、航海し、気象状況をはじめとして、海上、陸上の状況の変化に脅威の思いを感じた。かっては、台風雨圏外にあった、ツアモツ諸島が、大風雨に見舞われ、ほとんどの家が崩壊したが、幸いツアモツ諸島アへ島は、今やブラック・パールの主な生産地として、経済的に豊かな島になっていた。昔親しくした友人はまだ健在で、私の顔を見ると即座に、「タアロア」と我々のヨットの名前を呼んで、私の名前も覚えてくれていた。もう70歳を越して老いた島の友人は早速、孫の家に連絡を取り、今や村で一番の成功者の真珠養殖場の家に行った。その孫息子は、おじいさんがお世話になった方だから、大切にしなくてはいけない、ということで、目の前に山ほどの真珠の球を見せて、お土産にいくつでもいいのを取ってください、ということだった。何か昔の日本を思い出させるような親子の関係がそこにはあり温かい気持ちになって帰路に就いた。環礁の中の海水は、昔のように澄んではいず、白く濁っていたが、島人の心は変わらず清んでいるように思えた。2011年の南太平洋への航海も月刊誌「 Kazi」の2011年5月号より10月号に「思い出の南太平洋再訪」として36年ぶりの航海の実現が掲載された。